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大秦帝国 縦横 =強国への道=の感想・口コミ
秦の始皇帝のドラマ。超オススメ。とにかく面白い。
最初の数話は人物紹介なので、つまらなくても少しの我慢。これが中国ドラマのコツです。
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— 東京&広州パワー生活者 (@guangzhou88) 2018年5月25日
約1ヶ月ほどかけてHuluで「大秦帝国 縦横~強国への道~」全51話を見終わって5分以上放心してた。少しのコミカルな演出を交えながらも非常に重厚。多くの歴史上の人物が登場するがとにもかくにも中国の俳優陣の演技には感服した。かの国のエンタテイメントの奥深さ。 pic.twitter.com/6r7rIAAxFA
— ??やだま(弱酸性)ひもとろ?? (@gikobata) 2017年11月18日
今CSで再放送になるが『大秦帝国 強国への道』と言う中国ドラマの再放送を改めて見ている。弱小だった秦が始皇帝を擁し中国を統一するまでの歴史をドラマ化したもの。現中国がこの再現を狙っているかのようなドラマ。美化されてはいるが政、策等中国指導者権力者の思考法がなんとなく理解できる。
— 妹尾 (@ryosenoh) 2018年1月10日
大秦帝国 縦横 =強国への道=の各話あらすじ【全51話】
戦国時代中期、秦の君主、嬴駟 (えいし) は「商鞅の変法」による改革を堅持すること、そして魏と斉とともに彭城で王を称することを朝議で発表する。改革により勢力を奪われた旧勢力の甘龍 (かんりゅう) や杜摯 (とし) は、嬴駟のこの決議に反感を持ち、密かに蜂起を企てるのだった。一方、斉と魏は互いに利用する下心を抱えながら、秦が王を称すことに合意していた。だが秦への憎しみが勝る魏王は、配下である将軍・公孫衍 (こうそんえん) に彭城への途上で嬴駟を暗殺することを命じる。
公孫衍 (こうそんえん) らの襲撃を切り抜け、さらに彭城へ向かった嬴駟 (えいし) ら一行は、途中で魏の将軍の出迎えを受け、郡守の屋敷で一泊することになる。しかしそれは、嬴駟らの命を狙うための罠だった。これらはすべて魏王の策略であったが、嬴駟は郡守の娘・魏紓 (ぎじょ) の手引きで脱出する。その後、式典に駆けつけたものの、結局間に合わなかった嬴駟は、魏王を激しく非難する。
嬴駟 (えいし) は魏の宰相、恵施 (けいし) からの縁談の申し出を承諾する。しかし、その裏で魏王は魏紓 (ぎじょ) に匕首の剣を渡し、婚礼のさなか、嬴駟を暗殺するよう命じるのだった。同じ頃、甘龍 (かんりゅう) と杜摯 (とし) は義渠 (ぎぎょ) や魏と組み、蜂起の準備を着々と進めていく。魏王の命令どおり、婚礼で魏紓が嬴駟を刺すと、甘龍と杜摯は嬴駟の伯父、嬴虔 (えいけん) に即位を迫る。嬴虔は宮中へ向かい、嬴駟の安否を確かめようとするが、嬴疾 (えいしつ) に制止されてしまう。
嬴駟 (えいし) は、嬴虔 (えいけん) の協力を得て、甘龍 (かんりゅう) と杜摯 (とし) の謀反を阻止し、秦に攻め入った義渠 (ぎぎょ) も壊滅状態に追い込む。嬴虔は、杜摯勢との戦いで負傷し死ぬが、その死の直前に、秦公剣を嬴疾 (えいしつ) に託す。秦に惨敗した義渠は鳴りを潜めていたが、王子は生き延びていた。その叔父は秦への復讐を果たすべく、楚との関係を着々と築く。
河西を占領した魏軍との戦を前に、嬴駟 (えいし) は総大将の人選に頭を痛めていた。嬴疾 (えいしつ) の推薦により、秦軍は公孫衍 (こうそんえん) を総大将とし、魏の老将・龍賈に勝利する。同じ頃、魏出身の論客・張儀は周の公子、昭文君と出会う。張儀の才覚を高く評価した昭文君は、路銀と湛盧の剣を与えたのだった。秦へ向かった張儀は、大商人・猗蔚 (いい) と共に賭場で戦の賭けに参加する。大方の予想とは反対に、秦軍の勝利へ張った二人は大勝するが、秦軍に捕まり連行されてしまう。
魏人の店で魏の嗣公子が暴れ、そこに乗り込んできた嬴辛 (えいしん) と衝突し、死者が出る事件となる。嬴駟 (えいし) は、嬴辛を法に基づき裁こうとするが、公孫衍 (こうそんえん) が魏人の店にいたことも問題となる。戦で母国と戦い大良造となった公孫衍は、割り切れないものを感じ、秦を離れることを決意する。引き止めようとする嬴駟に、公孫衍は張儀をその後任に推薦する。宮殿に呼ばれた張儀は持論を展開するも、大臣たちのそしりを受け、侮辱されたまま、その場から出て行くことになる。
大商人・猗蔚 (いい) の話に興味を持った嬴駟 (えいし) は、張儀と再び面会し、客卿として秦に招く。張儀は嬴駟に連衡策を説き、魏から河西を奪回する方法として魏と盟約を結んだ上、秦が魏から奪った3城 (蒲陽、曲沃、焦城) を返還するよう提案する。張儀は自ら使者として魏へ向かい、魏王に盟約を受け入れるよう提言する。一方、嬴駟が張儀の策を採用したことで、反対の立場を取った公孫衍は秦を去るのだった。
河西返還の正式な調印を無事に果たし、帰国した張儀と入れ替わりに、公孫衍は秦を去った。河西の問題が落ち着いたところで、嬴駟 (えいし) は南方を押さえるため、まずは楚と修好を結ぶことを考える。そこで張儀は楚と姻戚関係を結ぶことを提案し、さっそく楚王のもとへ交渉に行く。ちょうどその頃、羋丫頭 (びあとう) は義渠駭 (ぎぎょがい) との間にできた子供を産んでいた。一方、羋丫頭に会いに行こうとしたのを叔父にたしなめられた駭 (がい) は、言い争いになり、叔父を斬ってしまう。
張儀は楚との盟約締結という大役を果たし、雲夢沢の女、羋丫頭 (びあとう) を秦公・嬴駟 (えいし) の妃とするべく雲夢沢を訪れる。羋丫頭は義渠 (ぎぎょ) 王・駭 (がい) との間に子供をもうけ一児の母となっていたが、秦へ嫁ぐ決心をする。一方、楚を訪れた駭は、羋丫頭が秦に嫁いだことを知り慌てて後を追う。だが羋丫頭は駭を捨て、秦へと向かう。嬴駟は楚との盟約締結を機に、いつまでも河西を返還しない魏の討伐を開始する。同時に楚から来た妃、羋丫頭に溺れてゆくのだった。
和睦を求めてやって来た魏の宰相・恵施 (けいし) に対し、張儀は取引として、嬴駟 (えいし) が王を称することを認めるよう求める。さらにその式典では、嬴駟の乗る馬を魏王に引かせるという、屈辱的な要求もする。恵施 (けいし) は渋々要求を持ち帰ることになる。羋丫頭 (びあとう) は、義渠 (ぎぎょ) 王、駭 (がい) との間にできた子供のことを嬴駟に打ち明け、宮殿を追い出される。しかし嬴駟は御者になりすまし、羋丫頭についていく。
楚王は使者を通じ、嬴駟 (えいし) に王を称さぬよう進言せよと羋丫頭 (びあとう) に迫る。息子を盾にとる卑怯なやり口に、羋丫頭は使者の要求を突っぱねるのだった。一方、羋丫頭を忘れられない義渠 (ぎぎょ) 王・駭 (がい) は、嬴駟が王を称す式典を狙い、彼女を奪還しようと考える。張儀は秦に潜入していた斉の客卿・陳軫 (ちんしん) を見破り、嬴駟に謁見させる。陳軫は秦での仕官を拒むが、彼の洞察力に脅威を感じた嬴駟は、斉に帰すまじと策を弄するのだった。
秦の特使として魏を訪れていた陳軫 (ちんしん) は、式典への参加を魏王に呼びかける。秦に従うしかないことを悟っていながらも、魏王はすぐに返事をせず、陳軫をいったん宿へ帰らせる。しかし宿で待機していた陳軫はさらわれ、斉に戻される。宮廷の夫人の集まりに参加した羋丫頭 (びあとう) は、場違いな服装をして他の夫人たちの前で恥をかく。それを見た魏紓 (ぎじょ) は、羋丫頭を自室に呼んで化粧を教える。
龍門では嬴駟 (えいし) が王を称す式典が始まろうとしていた。式典の会場で義渠 (ぎぎょ) 王は、羋丫頭 (びあとう) を誘拐する。一方、張儀は嬴駟の屈辱を晴らすべく、嬴駟の乗る馬車を魏王が御し、その馬を韓王が引くことを迫り、両国に承諾させる。王を称した嬴駟の勇姿に臣下たちは大いに沸く。そのさなか、秦軍の捜索により羋丫頭が救出される。追い詰められた義渠王を魏の嗣 (し) 太子が救出、義渠王と魏王は秦に対抗すべく同盟を結ぶのだった。
魏の嗣 (し) 太子は、自ら罪人として処刑されるという芝居を打ち、公孫衍 (こうそんえん) を都に呼び戻すことに成功する。公孫衍は魏の将軍として迎えられ、合従策を進めるべく韓へと向かう。嬴駟 (えいし) のもとに、韓に嫁いでいた従姉 (いとこ) が一方的に離縁されたとの知らせが入る。張儀らは、怒る嬴駟を説き伏せ、公孫衍の合従に対抗するために、まずは韓と盟約を結ぶことを勧め、張儀も韓に向かう。一歩先に韓に到着した張儀は、韓王に連衡策を持ちかけ、盟約成立寸前の段階までこぎつける。
張儀 (ちょうぎ) は楚に行き、屈原 (くつげん) と会う。屈原は若くして外交を担当する左徒を務める楚の重臣である。屈原は楚も秦のような変法を行うべきだと主張するが、誰も取り合わない。秦の使者である張儀にも敵意をむき出しにし、楚は秦と対抗するべく斉との同盟を進めると言い放つ。一方、老獪な宰相である昭陽は、秦との同盟を承諾する。屈原の存在を疎ましく感じる張儀は、彼を失脚させるべく子蘭 (しらん) 王子に接近するのであった。
息子が都に来ていると知った羋八子 (びはつし) は、規則を破って滞在先の宿屋萱蘇 (けんそ) へ行くが、結局会えずに王宮へ戻る。この行為に処分が下り、ビ八子 (びはつし) は幽閉される。蘇萱 (そけん) は責任を感じ、都を去ろうとするが、張儀の送った兵に呼び戻される。ここで張儀は改めて蘇萱に求婚するが、生きる道が違うと断られる。蘖桑の会盟が始まり、秦、斉、楚の3国はそれぞれの思惑を胸に集まる。
蘖桑での秦、斉、楚の同盟交渉は決裂に終わり、楚と斉は、秦を阻むため魏韓を攻撃する。魏王は公孫衍 (こうそんえん) の合従のせいだと非難し、恵施 (けいし) の進言により、魏は秦へなびき始める。一方、秦の王宮では、嬴華 (えいか) が同盟決裂は張儀の失策であると厳しく非難していた。憤った張儀は秦を去ることを決意する。蘇萱 (そけん) は張儀に思いを伝えるが、張儀は志を諦められぬと拒むのだった。魏に帰国した張儀は恵施 (けいし) に宰相の位を要求し、恵施 (けいし) はこれに応じる。
宰相として魏に迎えられた張儀は、秦楚と組み、斉を討つよう魏王に提案する。楚軍の撤退を望む魏王は喜んで受け入れる。しかし楚は軍の撤退および共同で斉を討つ交換条件として、楚の人質となっていた魏の高 (こう) 王子を、魏の太子とするよう要求する。これは、楚が魏を操るための策だった。それを見抜いた現太子の魏嗣 (ぎし) は、弟の魏高 (ぎこう) を殺す。魏と結んで斉を討つこととなった秦は、魏韓の領内の行軍を認めさせたうえに、韓の弱みに付け込んで、韓軍の出動を要請する。
公孫衍は、軍の目付け役として前線に同行した張儀を拘束する。公孫衍は張儀の魏への仕官そのものが、秦の策略であると見抜いていたのだった。そんなこととは露知らず、嬴華 (えいか) 率いる秦軍は斉軍を攻めるが、味方のはずの魏軍の寝返りで大敗を喫する。魏の裏切りに怒った秦は魏への報復攻撃を開始する。魏王は嗣 (し) 太子を次期王と指名し、秦に謝罪の意として領土の割譲を命じ、息を引き取る。魏嗣は王に即位すると、公孫衍の合従策を推し進めていく。
牢に入れられていた張儀は、斬首を免れ追放処分となるが、魏王 (魏嗣・ぎし) は張儀を密かに殺すよう衛氓 (えいもう) に命じる。山中で衛氓に殺されそうになった張儀であるが、運良く山賊の集団が乱入し、命拾いする。山賊の頭領は女性で、しかも周王室の姫、昭文君の妹・姫狐 (きこ) だった。張儀は彼女と、その手下である魏冉 (ぎぜん) を連れて、秦へ帰る。
張儀は斉の使者のために盛大な宴席を設ける。目的は魏の合従により、斉が標的になりうるのだと警戒心を抱かせるためだった。一方、公孫衍 (こうそんえん) は合従に承諾した楚の屈原 (くつげん) を訪ね、秦討伐のための出兵を催促、楚は韓魏趙燕とともに出兵を決断する。5国の侵攻を前に、嬴駟 (えいし) は戦か和議か、今までにない焦りと迷いを感じていた。張儀は秦の存続の方法は戦しかないと断言する。さらに自身が兵を率いるという張儀の覚悟に、嬴駟は心を動かされるのだった。
5国の攻撃にそなえ、秦では兵士の訓練が進められていた。腕の立つ魏冉 (ぎぜん) は、視察に来た嬴駟の目に止まり、腕比べをする。一方、白起 (はくき) は料理でも才能を発揮し、嬴疾 (えいしつ) の目に止まる。さらに白起は、軍の動かし方を料理になぞらえて嬴華 (えいか) に説明し、嬴華にも気に入られる。函谷関に先に到着した趙・魏・韓の軍は、楚と燕の到着を待っていた。それに対して、嬴疾率いる秦軍の方も攻撃に出ず、ひたすら守りに入っていた。
王子・嬴稷 (えいしょく) の国を思う心と知恵に感心した嬴駟 (えいし) は、褒美として幽閉されている羋八子 (びはつし) に会わせる。嬴駟は羋八子の気遣いに触れ、彼女を許すのだった。函谷関への出陣式で、魏冉 (ぎぜん) は羋八子と言葉を交わし、実の姉だと確信する。羋八子 (びはつし) は秦が5国に対抗している際に、義渠 (ぎぎょ) が背後から侵攻せぬよう、義渠王に直談判に行こうと考えるのだった。
張儀は姫狐 (きこ) とともに燕の太子と交渉し、トラブルに巻き込まれて負傷するも、燕軍の撤退に成功する。一方、義渠を撤退させようと出かけた羋八子 (びはつし) は、交渉に失敗する。燕の撤退を知った公孫衍 (こんそんえん) ら連合軍は動揺する。それに追い討ちをかけるように、楚王は函谷関に向かっていた楚軍に待機を命じる。
新兵を訓練していた白起 (はくき) は、函谷関の前線に召集される。そこで、魏冉 (ぎぜん) とともに敵陣の偵察を命じられ、楚の子蘭 (しらん) 王子率いる兵糧部隊に遭遇するのだった。魏冉と白起は楚の兵糧を焼き討ちし、楚軍は撤退を余儀なくされる。こうして、楚魏韓趙燕の5国同盟は燕と楚が抜け、魏韓趙の3国のみとなってしまう。開戦を前に公孫衍 (こうそんえん) に再会した嬴駟 (えいし) は、全力で戦うことを宣言するのだった。
函谷関での戦いは、秦の圧勝となる。捕虜になった韓の太子は、連行される途中で崖から身を投げて死に、公孫衍 (こうそんえん) は戦の責任を取る形で魏を追放され、韓へと向かう。戦に参加しなかった楚は、さっそく秦に取り入る策に出ようとするが、これに対して屈原 (くつげん) が激怒する。秦は戦勝ムードにわいていたが、関内侯 (かんないこう) ら老臣の一派の動きが不穏であることを案じた櫟陽姫 (やくようひめ) が、嬴駟 (えいし)に注意を促す。
甘茂は張儀の取り計らいで太子傅の職を得るが、王子の求めに従い武術を教えていたため、后妃の不評を買ってしまう。甘茂は太子傅を辞して軍に入りたいと告げ、張儀はこれを了承する。燕の太子は姫狐 (きこ) との縁談を求め、張儀に使者を使わした。秦燕の友好のため、張儀はやむなく姫狐の嫁入りを見送るのだった。同じ頃、公孫衍 (こうそんえん) は再び合従を結ぶべく韓王に面会するが、宰相公仲侈の激しい反対に遭ってしまう。
姫狐 (きこ) を燕に嫁がせてしまった張儀は意気消沈していた。そんな時、燕で政変が起こり、張儀は姫狐と平太子を助けに行こうとするが、同じタイミングで韓が秦に宣戦布告する。楚は、韓の宣戦布告を受けて、どういう立場を取るか話し合っていた。その席上で屈原 (くつげん) と陳軫 (ちんしん) の意見が対立する。秦の密偵である陳軫は、屈原の純粋な愛国心に打たれ、徐々に心境が変化していく。
張儀は、政変のさなかの燕へ赴く。燕の宰相の子之 (しし) は盟約締結の条件として、内政不干渉を挙げる。張儀は、政変に破れ国を追われた姫狐 (きこ) を案じながらも、やむなく承諾するのだった。秦へ帰国後、張儀は蘇萱 (そけん) の思いに心を打たれ、結婚を決める。同じ頃、巴蜀両国の間に紛争が起こる。張儀は韓討伐の後、周に迫り覇業を成すよう進言するが、将軍司馬錯 (しばさく) は実利のために巴蜀を討つべきだと主張、秦王・嬴駟 (えいし) も巴蜀討伐に同意するのだった。
秦は巴蜀への遠征を決行するため、韓への懐柔策として、兵糧を献上する代わりに停戦をお願いすることにした。この交渉に当たった嬴疾 (えいしつ) は見事に韓王の説得に成功する。韓王から撤退命令が出る中、公孫衍 (こうそんえん) は、秦討伐の協力者を求めて斉へ向かう。蕩 (とう) 王子は、母の心配をよそに、巴蜀遠征に参加する。一方楚は、秦を討つべく、景翠 (けいすい) 将軍の作戦を実行に移そうと準備を進める。
公孫衍は田文 (でんぶん) (孟嘗君・もうしょうくん) に、魏の宰相への就任を要請する。これを了承した田文は、斉王から「魏軍を函谷関に駐留させ、秦の東進を阻め」と命じられる。秦の将軍、甘茂の守る曲沃は、景翠 (けいすい) 率いる楚軍に包囲された挙げ句、水攻めにより落城する。しかし秦は巴蜀討伐により国内に余剰の兵力がなく、八方塞がりに陥ってしまう。張儀は商於を楚に割譲することを進言し、嬴駟 (えいし) はしぶしぶこれを承諾するのだった。
監禁状態から、なんとか楚王への謁見がかなった張儀は、商於と引き換えに楚軍撤退の約束を取り付ける。そのやりとりを聞いていた陳軫 (ちんしん) は、張儀の提案がウソであることを見抜く。秦のやり方に失望した陳軫は、密偵役を下りる。正式に盟約を結ぶため、楚の使者とともに秦へ戻った張儀は、落馬してケガをする。一方、巴蜀の遠征軍では、危険な任務からはずされそうになった蕩 (とう) 王子が、自らの腕力を証明し、部隊に残ろうと食い下がる。
蜀での行軍中に敵の間者を発見した蕩 (とう) 王子は単身で襲いかかる。ところが、間者と見間違えたのは若く美しい娘で、蕩は娘にほのかな恋心を抱くのだった。一行は娘の案内で蜀の王宮に到着し、蜀を下す。同じ頃、楚では、子蘭 (しらん) 王子が靳尚 (ぎしょう) と屈原 (くつげん) 失脚について密談する。蜀の陥落後、司馬錯 (しばさく) は巴へ侵攻したため、巴人は激しく抵抗する。蕩は覆面の巴人を斬り捨てるが、なんとそれは行軍途中で出会った娘だった。
商於を奪還できると信じた楚王は、祝いの宴を行う。席上で楚王の甘さを指摘した屈原 (くつげん) は、王の怒りを買う。その頃、秦には巴蜀遠征成功の知らせが入る。療養を理由に楚との盟約締結を先延ばしにしていた張儀は、盟約の文書を楚の使者に渡す。しかしその内容は、約束していた商於の地600里ではなく、自分の所有地6里を割譲するという詐欺まがいのものだった。一方、公孫衍 (こうそんえん) は韓魏の連合軍で秦を攻めるが、大敗する。
商於割譲はうそだったと知らされた楚王は激怒し、秦との開戦を強引に決断する。楚との戦に備え、張儀は「斉と同盟する楚に対抗し、秦は魏韓と盟約を結ぶべきだ」と主張、早速魏韓に使者を送る。だが韓王は、秦との盟約締結の条件として、函谷関での戦いで息子、奐 (かん) 太子を死に至らしめた秦兵馮高 (ふうこう) を引き渡すよう要求するのだった。同じ頃、義渠は秦に滅ぼされる。行き倒れていた琰 (えん) 王子を保護した商人は、奴隷として咸陽へ連れていく。
秦から解放された韓朋 (かんほう) は、韓王に対し秦と盟約を結ぶよう勧めるが、自責の念から韓朋は自害する。一方、馮高 (ふうこう) は盟約を成立させるため自分の命を差し出す決意をし、韓へ向かう。楚との戦が始まる。丹陽城の前に駐留する魏章 (ぎしょう) は、敵将屈丐 (くつかい) の守る城の中へ突入するために一計を案じるが功を奏さない。ひたすら守りに徹する屈丐に楚王は怒るが、昭陽はその戦術を評価する。引退を考えた昭陽は、屈原 (くつげん) に今後の心得を示す。
張儀の離間の計が奏功し、斉軍が撤退した。その結果、嬴華 (えいか) の部隊は援軍として丹陽へ向かい、魏章 (ぎしょう) の部隊と合流する。籠城する屈丐 (くつかい) に対し、魏章は火攻めでこれを攻略したのだった。しかし、楚の名将、景翠 (けいすい) は軍を二分し、一方を丹陽の援軍、もう一方を秦の藍田へと差し向ける。藍田は都、咸陽に近く、嬴駟 (えいし) も危機を募らせる。丹陽を占領した魏章と嬴華 (えいか) だったが、楚軍の包囲により、守りの手薄な自国を楚軍に脅かされるという窮地に陥る。
丹陽の城を守るため、嬴華(えいか)が戦死する。楚の景翠 (けいすい) は秦の咸陽を落とすべく進軍するが、またも秦に兵糧を焼かれ、撤退する。秦楚の戦いは秦の勝利となるが、今後、斉の増長を心配した張儀は、あえて楚と盟約を結ぶことが上策と判断。戦勝国であるにもかかわらず、あえて楚に漢中の地を割譲することを秦王に勧める。この提案には、秦王をはじめ大臣らが猛反対し、張儀は立場をなくす。そんな中、楚から盟約締結の条件として、領土ではなく張儀を差し出すよう要求が入る。
嬴駟 (えいし) が止めるのも聞かず、張儀は単身、楚へ向かう。商於割譲で張儀にだまされ、戦でも大敗を喫した楚王は、恨みを晴らすべく張儀を投獄してしまう。張儀は牢内で屈原 (くつげん) に殺されそうになったところを陳軫 (ちんしん) に救われ釈放される。楚を出国する際、張儀は秦での仕官を誘うが、陳軫は哀れな楚のために力を尽くしたいと告げる。一方、羋八子 (びはつし) の侍女項紋 (こうもん) は戦死した家族の復讐のため、嬴駟の命を狙うが事前に発覚し自害する。
嬴華 (えいか) の墓参りをしたあと、秦王は後継者である太子に誰を立てるべきか嬴疾 (えいしつ) に相談する。嬴疾は長子を立てることが妥当だと答え、その意見に従って、蕩 (とう) が太子となる。ところが、太子となった蕩 (とう) が、母・魏紓 (ぎじょ) の意に反して楚の娘を見初めてしまうことで、波紋が広がる。猗蔚 (いい) の店で義渠人と秦人のケンカが起こる。
嬴駟 (えいし) は、義渠人と乱闘した蕩 (とう) 太子を叱責する。張儀は乱闘の相手である義渠琰 (ぎぎょえん) の身柄を確保しようとするが、嬴壮 (えいそう) に先手を打たれてしまう。息子である琰が咸陽にいることを張儀から知らされた羋八子 (びはつし) は、居ても立ってもいられない気持ちになるが、張儀は自重するよう釘を刺す。同じ頃、嬴壮は蕩に取り入ろうと画策し、王后と琰 (えん) を自らの屋敷で引き合わせる。蕩と魏の王女との婚礼の夜、花嫁の王女は、巴の娘と密会した蕩に怒り、帰国してしまう。
嬴駟は蕩 (とう) を激しく叱責し、太子から下ろそうと考えるが、張儀や嬴疾 (えいしつ) が反対する。嬴壮 (えいそう) に脅された猗蔚は、我が身を守るため嬴壮に情報を提供する。魏冉 (ぎぜん) は蕩太子の家を訪れた際、嬴壮に向かって「姐 (羋八子 (びはつし)) に危害を加える者には容赦しない」と言い放つ。息子の琰 (えん) が咸陽にいることを知った義渠王・駭 (がい) は、命懸けで会いにやってくる。琰を連れ戻すのかと思いきや、義渠王は琰に対して「義渠復興のため、このまま咸陽に残れ」と告げるのだった。
羋八子 (びはつし) は生き別れた息子、琰 (えん) に会いに行く。しかし、そこにいたのは義渠王であった。邂逅の現場を嬴壮 (えいそう) に押さえられた羋八子は、嬴駟 (えいし) に死刑を言い渡されてしまう。羋八子釈放の陳情に来た張儀は、すべては嬴壮によって仕組まれたものだと釈明する。だが嬴駟は自らが嬴壮の黒幕であることを明かす。国を安定させるために、蕩 (とう) 太子の障害になる羋八子を自ら排除しようとしたのだ。
羋八子 (びはつし) と稷 (しょく) 王子が人質として燕に送られる。張儀は同行するつもりだったが、張儀を少しずつ大任から外していくべきだと考える嬴疾 (えいしつ) の進言により、任務から外されてしまう。魏紓 (ぎじょ) に見送られながら馬車は出発するが、羋八子は見送りの中に琰 (えん) がいたことを後になって知るのだった。嬴駟 (えいし) は羋八子を人質に送ったことで後悔の念に苛まれる。再び張儀を燕と趙の外交任務に充て、ついでに羋八子に多くの差し入れを届けさせようと考える。
燕の太子平は、斉より援軍を得ると政権奪還を試みるが、子之 (しし) に破れ、無念の最期を遂げる。同じ頃、羋八子 (びはつし) 親子も身に迫る危険から逃れようと燕を脱出していた。一方、張儀は、趙と同盟すべく趙王に謁見する。秦との同盟の利を説く張儀に対して、懐疑的な趙王は「秦と斉は共に趙の敵である」と言い放つ。そして、羋八子親子を保護していることを張儀に告げ、同盟の条件として羋八子親子を趙の人質とすることを迫るのであった。一方、秦では嬴駟 (えいし) に異変が起きていた。
張儀が羋八子 (びはつし) のもとを訪れるが、趙王の要求により、秦には連れ戻せなくなったことを伝える。嬴駟 (えいし) は自分の死期が近いことを考え、嬴疾 (えいしつ) に「嬴壮 (えいそう) の行動に注意せよ」と命ずる。病床の嬴駟のもとへ琰 (えん) がやってきて、憎しみもあらわに、「秦の王室を混乱させてやる」と宣言する。嬴駟が息を引き取り、王后・魏紓 (ぎじょ) は錯乱状態に陥る。
嬴駟 (えいし) の死後、秦は着実に変化を遂げつつあった。新王・嬴蕩 (えいとう) の外交政策について苦言を呈した張儀だったが、嬴蕩は聞く耳を持たない。嬴蕩は自分の意に添わぬ張儀を遠ざけ、嬴疾 (えいしつ) と甘茂を重用しようとする。しかし、張儀が前王の寵臣であるため、思うに任せずにいた。やがて、宰相の座を狙う嬴壮 (えいそう) が、張儀を亡き者にせんと刺客を放つ。その刺客に妻の蘇萱 (そけん) を射殺された張儀は、傷心のまま秦を去る決意をする。
張儀が秦を去る。母国の魏に到着すると、息子の帰りを待っていたかのように、張儀の母親が息を引き取る。葬儀のあと、張儀は田舎の料理屋で公孫衍 (こうそんえん) と再会し、遊説家としての半生を振り返りながら酒を酌み交わす。妃である魏の姫を追い出した上に、王であるにも関わらず力比べに熱を上げる息子・嬴蕩 (とう) を魏紓 (ぎじょ) は心配する。しかし実際の嬴蕩は、王としての野望を果たすべく、着々と計画を立てていた。その内容は、周の天子に迫り実質的な権力を手に入れることであった。
韓を下した嬴蕩 (えいとう) は、周の都洛陽へと向かう。その狙いは、周王を秦へと迎え入れ、天下に覇を唱えることにあった。周王が嬴蕩の申し出を突っぱねたため、嬴蕩は王宮に据えられた九鼎を秦へ持ち帰ろうとする。天下を象徴する宝物、周の九鼎を持ち上げると豪語した嬴蕩は、そのあまりの重さに押し潰されてしまう。嬴蕩は臨終の床で、腹違いの弟である嬴稷 (えいしょく) を次期王に指名し息絶える。趙にいる羋八子 (びはつし) と稷王子の帰国を巡り、宮中が慌ただしく動き始める。
嬴壮 (えいそう) らの妨害をくぐり抜け、羋八子 (びはつし) と稷 (しょく) 王子は無事に秦へ帰国する。先王である嬴蕩 (えいとう) の遺言により嬴稷 (しょく) を王に就かせることとなったが、嬴壮 (えいそう) ら一派が猛烈に反発。魏紓 (ぎじょ) もそれに振り回され、反対派のトップに担ぎ出される形となる。稷 (しょく) の即位式の日、嬴壮 (えいそう) らはわざと葬儀を行い、妨害しようとする。しかし、その場の話し合いで魏紓が折れ、葬儀と即位式をともに行うこととなる。
【最終話】王座を狙う嬴壮 (えいそう) は、嬴稷 (えいしょく) と羋八子 (びはつし) 親子の暗殺をたくらむ。魏紓 (ぎじょ) を抱き込んだ嬴壮は、戴冠式にかこつけた酒宴で嬴稷 (しょく) を亡き者にしようとするが、罠を見抜いた羋八子は魏冉 (ぎぜん)、白起 (はくき) とともに阻止へ動く。魏紓は羋八子を憎みつつも、その息子、義渠琰 (ぎぎょえん) や嬴稷 (えいしょく) を思うがゆえに自ら命を絶つ。嬴壮自身もまた白起の手にかかり、反対勢力は一掃されたのだった。
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